み篶刈る ②

金子みすゞ記念館  金子文英堂(再現)

金子みすゞ(本名 金子テル(照))。明治36年に、山口県長門、仙崎で生まれた。彼女が育った書店兼文房具店の店内の再現。

実際の生家は焼失してしまったが、当時を知る地域の人の証言から、この記念館が作られたそう。店内のようすも、明治期から大正にかけての書店のようすを再現している。映画のセットのようでもあり、でも何かほっとするような、そんな雰囲気。

2楷には、テルの部屋も再現されていた。

テルが3歳のとき父親が亡くなった。その後叔母の嫁ぎ先だった下関の上山文英堂の支店として、仙崎で文具と本を扱う店として金子文英堂を開く。それを切り盛りする優しく賢い母親に育てられたテルは、海と山と本に囲まれて育ち、女学校まで進学する。誰もが進学はできなかった当時としては、かなり恵まれた環境で、心豊かに育ったのだろうことがうかがえる。不自由のない暮らしに、知識欲を存分に満たせる環境と仙崎をとりまく自然。

外遊びも好きだったというテルはお転婆で感受性豊かな、のびやかな女性に育つ。女学校時代には空想に耽りながら通学路を歩くのが好きで、途中で人とすれ違わずに通学できることをひそかに願っていたという。

記念館には、本人の詩や関係者の逸話など、テルの人となりが伝わる展示がされていた。

空想の物語が人とすれ違うことで途切れてしまうから、誰とも会わないで学校の門まで行き着くのが願いだなんて、ちょっとかわいい。人とすれ違ってしまったなら、当時のこと、会釈だけですむはずもなくきちんと立ち止まりお行儀よく挨拶と会話を交わさずにはいられなかったに違いない。地域の書店のお嬢さんだしね。

女学校卒業までここで暮らしたテルは20歳で、下関の上山文英堂で働くようになる。そこは、亡くなった叔母の嫁ぎ先で、その後添えとしてテルの母が嫁いだ先だった。

死んだ妻の代わりにその姉妹の誰かが…って、よくある話。さも当たり前のように。そして上山家には、金子家から養子として貰われていたテルの実弟がいた。別々に育ったのにもかかわらず、芸術家気質はよく似ていて互いに良き理解者となれたよう。とにかくよく語り合ういとこ同士だったみたい。実際は兄弟だけれど。

その頃から、「みすゞ」の名前で雑誌に投稿を始めたという。本と文具に囲まれて店番をしながら、読書と創作に耽ることができた、彼女が一番生き生きとしていた数年となる。