バチカンでみたシスティーナ礼拝堂をもう一度見たいと、10年前のお正月に母が言った。イタリア、また行く?と誘うと、さすがにそれは…と、一枚の紙を見せてくれた。紙には、「今年(来年)行きたいところ 徳島県 大塚国際美術館」と筆ペンで書かれていた。
きっと何かのテレビを見ていて知ったのだろう。世界の名画が、実物大の陶板で再現されていること、礼拝堂もそのままの大きさってこと、システィーナだけでなく、ルーブルでみたあの絵もこの絵も、もう一度みられるんだよと、少し興奮気味に話す母。
徳島県か、土日じゃ難しそうだし、当時の勤務地を考えると+2日は必要だと思い、「この数年の内に行けたらいいねー」と答えた。
でもその「いつか」は結局訪れることはなく、その年の内に母の病気がわかり、あっけなく逝ってしまった。
果たせなかった約束はずっと心のなかにひっかかっていて、ことあるごとに思い出す10年を過ごした。仕事、休み、そして自分自身の精神状態がうまくかみ合ったのか、ついにあの約束を果たす気持ちになり徳島を目指した。
実際のシスティーナよりも少し明るく感じる美術館のホールで、しばらく座り一つ一つの絵を眺めた。
母と一緒にしたいくつかの旅を思い出しながら、改めて10年という月日をどう過ごしてきたのか、母を亡くしてぽっかりと空いた穴を、私は何で埋めてきたのかを考えた。
母の声を聞けなくなって、何日が過ぎた…と思いながら過ごした最初の数ヶ月、一年、二年。夢にも出てきてはくれなかった数年。
穴はそれなりに埋められている気もするし、新たに失ったものも、たくさんある気がする。
それでも最近は、思い出さずに終わる日があるのも事実。でもそれは、振り返らずに生きていけているということなのかもしれない。
一緒に来ることはできなかったけれど、母を思いながら美術館の作品をゆっくりとめぐることにした。
ヴィジェ ルブラン
ヴィジェ ルブラン夫人とその娘
ダヴィッド
ラ・トゥール 大工の聖ヨセフ
他にも好きな絵がたくさんあったけれど、それはまたこんど。