見守る

五社神社 埋没鳥居

大正3年桜島噴火で、上部1mほどを残し、火山灰に埋まってしまった鳥居。鳥居はもともと3mほどの高さがあったらしい。

2mもの火山灰がここに積もったと考えると、この、大正3年の噴火がどれ程の規模だったのか、が想像もできない。

雲仙の普賢岳の噴火でも、家屋が同じくらい埋まってしまい、それが今でも災害遺産?として保存されているけれど、あれは噴火後の土石流による埋没。

この鳥居が単純に火山灰の堆積のみによって埋まったのなら、ものすごい量の噴出物だったに違いない。当時の記録や後に伝えられた教訓によると、軽石や岩、ととにかく物凄い噴出物が降ってきたとのこと。行く筋にも流れ出た溶岩は流出量も多く、海に流れた溶岩は桜島大隅半島を繋ぐほど。

海は沸き、海水は紫に染まり、なんていう話も残る。桜島の緑も焼き付くされたとか。

戦後、集落の人々が鳥居を降り起こそうとしたところ、当時の村長さんが、噴火の凄まじさを構成に伝えるためそのまま残すべき、と提案したとか。天然記念物に指定され、今もその姿が保存されている。(史跡ってわけでもないんだー。天然記念物ってこういうものもあるんだね。)

 

30年以上ぶりに訪れたこの場所で、改めて火山の、自然の脅威を実感。そして、以前来たときには鳥居しか見学しなかったことに気がついた。鳥居があるってことは、神社なんだよね。

30年前はただただ鳥居が埋まっていることに衝撃を受け、だそれだけで帰ってきてしまった。なんということ…。

今は中学校の敷地内となっている細い参道を抜けて、今回はちゃんとお参りをしてきた。神社っぽくはない本殿だけれど、頑丈そう。

周囲の杜もなかなか素敵。

埋没した鳥居を守るように大きく枝を広げて繁ったアコウの樹が、とても優しく見えた。

大正3年の噴火から110年。願わくばあれほどの大噴火が起こらないことを祈りたい。