座り続ける

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20171227
鎌倉 高徳院
大仏は台座を含めて13.31m。重さは121t。
高さはわかるけれど、重さって。もちろん材質はわかっているし体積もわかるから、測り方はいろいろあるのだろうけれど。
1252年建立。はじめは大仏殿があったが、1498年ごろには露坐となったらしい。
風雨にさらされるようになってもなお静かに500年鎮座している。

目の前で起きているさまざまな事象を、意味のあることと捉える目と、その事に気づく機敏は、どれくらい生きれば身に付くのだろう。
わかってはいても、気づいているつもりではいても、常には心に留められず、忘れてしまう時間の方が圧倒的に長い。生かすことができなければ、気づいていないのと同じなのだと、何度も思い知らされる日々。

多かれ少なかれ、誰もが範囲の違いこそあれ自分本位に生きている。いうまでもなく自分も。
深さの足りない自分の器で、どれくらい自分を見つめれば、目を閉ざすことなく周囲に心しながら、自分を滅し心平かに、上手に生きられるのだろう。

770年もの間、語らず坐しているこの方ならば、あるいはわかるのだろうか。
心静かに座ってみればいつかは…「清寂(せいじゃく)」の心を手に入れられるのだろうか。