夏蜜柑とおばあちゃまとの出会い

目的地への道すがら見かけた、「大日比夏蜜柑の原樹」の看板。どんな古木なんだろうと興味がわき、見に行ってみることに。

幅1mほどの細ーい下り坂を50mほど降りて集落に。水路の脇に案内の石碑。

これが原樹なのかな?きれいに整備されているからそうなのかな。ずいぶん青々と繁っているのね。実もたくさん。そう思ったらその横には…

こんな看板が。あれ?これは2世ってこと?原樹はどこ…って思っていたら、路地を歩いてくるおばあちゃまが、教えてくれました。

「あなた、肝腎の樹はこっちよー」指差してくれたのはこの公園から路地を挟んだ向かい側にある民家の塀の中

長門市 大日比夏蜜柑原樹の碑と、教えてくれたおばあちゃまの手。

これが原樹。

なるほどね。さっきの樹よりはずいぶん年老いた感じ。だけどちゃんと実をつけてるー。と驚いていたら、「反対側から見てごらんなさい。」っておばあちゃま。

なになに?

ひょえ~~細!っていうか薄!

古木だろうとは思っていたけれど、もっと大きな樹を想像していた。でも、古いってことはお年寄りってこと。こうなるよね。

おばあちゃまのことばは聞き取りにくかったけれども、どうやら幹の大半は朽ちてしまって、皮一枚に近い状態のまま、まだ命を繋いでいるらしい。

その昔、江戸時代中期の1700年代前半に流れ着いた夏蜜柑の種子を植えたものらしい。一度は切り倒されたものの、そのひこばえが育ち、それがこの原樹とのこと。約300年の樹ということね。

はじめは蹴鞠の玉として使っていたとかってちょっとおもしろい。

そのうち食酢として使われるようになったものの、地元の萩で利用されていただけのこの実を、明治時代になって職を失った士族の授産事業として大量に栽培し広めたのだって。

おばあちゃまはこの、栽培を広めた小幡高政氏をかなり尊敬していらして、どれだけありがたく立派な方かと力説して語ってくださった。

そして、自分はこの古木に定期的に肥料を撒いているのだと、向かい側の公園の手入れをしているのだと教えてくれた。

公園に移植された2世の夏蜜柑の樹を、「これは、原樹の娘なの」と、愛おしそうに眺めながら何度も言っていた。

この日も、公園のまわりのガザニアの植栽を手入れするために来たらしい。お話し好きのとても品のいいおばあちゃまだった。

原樹とおばあちゃま

いろいろ教えてくれてありがとうございました。お元気でこれからも夏蜜柑のお世話、頑張ってくださいね。

 

そうそう、夏蜜柑の花言葉

        「清純」「親愛」「花嫁の喜び」

爽やかな香りの白い花が咲く初夏が恋しくなるような、寒い日だった。