史跡

1903年

日比谷公園に、120年以上前に設置された水飲み場。形も細工もなかなか素敵。人だけじゃなく、馬も水を飲めるようになっていたなんて、優しい水飲み場。 その頃は、馬車や馬が普通に往来していたんだろうな。日本が急速に近代化して、欧米のあとを追った時代…

こんなところに見学ポイント

北条泰時邸 厨跡 鶴岡八幡宮前の商店街の一角。無料の休憩所がこんなことになっていた。 泰時邸跡の発掘跡がそのまま残され公開されている。柱の跡や塵穴などのほんの少しの部分だけれど、800年前の遺構だとおもうとちょっとワクワクする。 土器のかけらなど…

苔の石段

杉本寺の苔の石段。 石段のへこみに、年月を感じる。どれだけの人が登り降りしたら、これ程のくぼみができるのだろう。 8世紀に建てられた鎌倉最古の寺院。行基が開祖だというから、それはそれは古い歴史だ。 境内の木々にはリスが走り回っていた。

地元の人は鹿児島城とは呼ばないけど

鹿児島城(鶴丸城)趾の、お堀のハス 今年もたくさん咲きだした。 復元されだ御楼閣。数年たって、周囲に馴染む色合いになってきた。 少し灰混じりの雨粒。 鹿児島城(鶴丸城)趾。

1000円札

田園風景の中に茅葺き屋根の古い家。一部のみ移築された、北里柴三郎の生家。二部屋のみが残されている。屋根にはタンポポが咲いていてなんだかほっこり。 2024年に新しく発行される1000円札の肖像画になる人物。 北里柴三郎は1953年、ペリーが来航した年に…

和気神社のフジ

フジ 藤 230422 綺麗な社殿 和気神社の藤を見に。ずーっと行きたかったけれどなかなか機会を得られず初めての訪問。 例年よりも花数が少ないとのことだったけれど、香りと、藤棚がつくる爽やかな木陰に十分満足。八重のフジなんて初めて見た。 花言葉は「優…

花尾神社

花尾神社 とっても綺麗な社殿だった。さつま日光の別名に納得。安産祈願の神社だとか。

朝の散歩

行き先をあまり確定せずに出発した旅も、最終日。再びお城を目指した。 現存十二天守の宇和島城。さほど大きなお城ではないけれど…。 いきなり選択を迫られる。どっちを登るの? こっち? こっち? そりゃ、決まってるでしょ。急な石段を選ぶ!あまり悩まず…

銭形

あいにくの天気で、影が薄くぼんやりしている銭形砂絵。山の上から見るとほぼまん丸。122m×90m。上手にできてるもんだ。 さすがに一夜にして…はどうかなあ?と思うけれど、これ以上ない、できる限りのおもてなしだったのだろうと思う。そして、400年近くも整…

絶景かな絶景かな?

福禅寺 対潮楼 朝鮮通信使は、瀬戸内海沿岸に寄港しながら江戸を目指した。鞆の浦にも当然ながら立ち寄り、この、福禅寺の客殿である対潮楼に滞在したのだそう。大きな窓枠から見える対岸の景色にいたく感銘し、日東第一形勝の言葉を残したのだそう。 どこで…

いろは丸事件と坂本龍馬 ①

桝屋清右衛門宅 230108 紀州藩の船と衝突して沈んだいろは丸。国内初の蒸気船同士の事故の処理と交渉のため、鞆の浦に上陸した龍馬が滞在した商家が、この桝屋。龍馬が実際に使っていた隠し部屋が残されている。 この階段は見学用 天井裏の床板 部屋への階段…

念願の鞆の浦へ

常夜灯 1859年に建てられているから、龍馬も見たはずの景色。 十数年前、母と広島を旅したときも、候補に挙げたのに実現しなかった鞆の浦訪問。ようやくたどり着いた。

卯之町 ③

230109 うだつや白壁、出格子がきれいな、静かな町並み。ここで生活している人もまだまだいるようで、布団を干しているお宅も。それも風情のひとつになっていた。 農村地帯でかつては藩の穀倉、街道の宿場町として栄えたらしい。著名な人もここで宿を求めて…

卯之町 ②

開明学校の向かい側には宇和民具館。江戸時代から昭和初期に実際に使われていた民具が山のように展示されていた。足踏みミシン。 チャレンジしたけれど、うまくまわらなかった…。難しい。悔しい。 トランク。 看板に、テレビ。 纒まで。 エビオス!整腸剤!…

卯之町①

開明学校 入り口の坂道 開明学校 明治15年に町の人々の寄付により建設され開校。古い町並みを歩き、小さな坂道を上がってこの学校にたどり着いた。明治時代の子供たちはきっとこの路地と坂道をワクワクしながら学校に通っていたのだろう。 横には明治2年に開…

高松城

お堀 魚が悠々と泳いでいる。 鯛だよ。 昔は3重の堀をもつ、海に面した城だった高松城。埋め立てにより外堀はなくなり、海と一体だった掘も、今ではこの、たったひとつの水門によって海と繋がっているらしい。 ブラタモリで見た、月見櫓を楽しみにしていたけ…

夏蜜柑とおばあちゃまとの出会い

目的地への道すがら見かけた、「大日比夏蜜柑の原樹」の看板。どんな古木なんだろうと興味がわき、見に行ってみることに。 幅1mほどの細ーい下り坂を50mほど降りて集落に。水路の脇に案内の石碑。 これが原樹なのかな?きれいに整備されているからそうなのか…

凱旋門

山田の凱旋門 鹿児島県姶良市 日露戦争に出征した兵士の帰還を迎えるためにつくられた凱旋門。アーチ式の石橋技術が活かされている。日露戦争当時、凱旋門は各地につくられたようだけれど、現存するのは全国で2基のみとのこと。 司馬遼太郎の『坂の上の雲』…

国宝拝観

霧島神宮 221023 霧島神宮の特別拝観。今年、国宝に指定された拝殿、幣殿、本殿、附棟札。拝殿より中に入れる機会はなかなかないので、見学。 鮮やかな色彩で描かれた絵画や、龍柱、破風の彫刻の美しさ。龍柱は、琉球の様式も取り入れられていて、火災で焼失…

遠の朝廷

大宰府政庁跡 221001 都から遠く離れた九州の地で、小さいながらも都にひけをとらない政庁の建物群が整えられ、その南側には朱雀大路がのびていた。 古くから外国の脅威にさらされながらも、対外交渉の窓口としてその外国との友好的な関係を築くことが重要な…

金山橋

金山橋

銃弾あと

西南戦争(1877年)銃弾あと。 静かに過ごしたかったであろう西郷さんを担ぎ上げ、士族たちが起こした新政府への反乱。気づいたときには後には引けず、自分の意思とは違う道に進むしかなかった西郷隆盛。時代の大きな転換点には、多くの、葛藤と迷いと逃せない…

高いところに登ってみる これ基本 平戸城

オランダ商館から見た平戸城 登ってみる 天守閣からの眺め平戸城 220723

平戸オランダ商館

オランダ東インド会社が設置した平戸の商館。俗にいう鎖国政策による出島への移転によりわずか33年しか使用されず、その後は破壊された。 現在の施設は復元されたもの。 日本が輸出していた漆器ってどんなものだったんだろうとあれこれ想像していたけれど、…

黄金色になるにはもう少しかかりそう

長崎 平戸 春日集落の棚田 220723黄金色の棚田もきれいだろうな。

棚田と墓地

春日集落の棚田 丸尾山より 山の斜面を拓いた棚田が見渡せる。江戸時代の絵図にはすでに描かれていた棚田。 丸尾山のキリシタン墓地 丸尾山 2018年に世界遺産に登録された、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産のひとつ、平戸の春日集落。江戸時代のキリ…

大和政権

江田船山古墳 熊本に残る古墳群の一つ。前方後円墳。ここからは、大和政権がその勢力を九州にまで広げていたことを示す、ワカタケルの名が刻まれた鉄剣が出土したことは有名な話。 墳丘には自由に登れる。その昔、大和政権と呼ばれた大和地方の勢力は、剣や…

お堀

熊本城のお堀 220508

何もかも打ち砕いてくれそうな

ヒイラギナンテン 柊南天 水前寺公園 220507花は咲いていないけれど…花言葉は、 「激しい感情」「激情」 「愛情は増すばかり」 葉っぱがヒイラギみたいだなあと思っていたら、葉っぱのギザギザの通り、花言葉も激しい。 何もかもを打ち砕いてくれそう。

六道塚古墳

古墳に祀られた岩がクスノキに抱き込まれていて… その様子から、地元の人によって長い間信仰されてきたのだろうと、容易に想像できた。 視界はかなりひらけた田園地帯で、遠くからでも、このクスノキの大木がよく見えた。熊本県菊陽町 220508