四国
和霊神社 大鳥居 石造りの鳥居としては、最大だそう。堂々としてスマートな鳥居。 10日に行われる「焼上の儀」の準備が行われていた。いわゆるどんど焼きとか、鬼火焚きみたいな行事かな。 御神木の銀杏木 手水舎 花手水 川向かいの和霊公園と神社を結ぶ橋。…
あいにくの天気で、影が薄くぼんやりしている銭形砂絵。山の上から見るとほぼまん丸。122m×90m。上手にできてるもんだ。 さすがに一夜にして…はどうかなあ?と思うけれど、これ以上ない、できる限りのおもてなしだったのだろうと思う。そして、400年近くも整…
230109 うだつや白壁、出格子がきれいな、静かな町並み。ここで生活している人もまだまだいるようで、布団を干しているお宅も。それも風情のひとつになっていた。 農村地帯でかつては藩の穀倉、街道の宿場町として栄えたらしい。著名な人もここで宿を求めて…
開明学校の向かい側には宇和民具館。江戸時代から昭和初期に実際に使われていた民具が山のように展示されていた。足踏みミシン。 チャレンジしたけれど、うまくまわらなかった…。難しい。悔しい。 トランク。 看板に、テレビ。 纒まで。 エビオス!整腸剤!…
ミケランジェロ 最後の審判 ミケランジェロ 天地創造 バチカンでみたシスティーナ礼拝堂をもう一度見たいと、10年前のお正月に母が言った。イタリア、また行く?と誘うと、さすがにそれは…と、一枚の紙を見せてくれた。紙には、「今年(来年)行きたいところ …
お堀 魚が悠々と泳いでいる。 鯛だよ。 昔は3重の堀をもつ、海に面した城だった高松城。埋め立てにより外堀はなくなり、海と一体だった掘も、今ではこの、たったひとつの水門によって海と繋がっているらしい。 ブラタモリで見た、月見櫓を楽しみにしていたけ…
150年前に心をとばしながらも、そろそろ帰路につかなければと、八幡浜港に向けて出発。 韮ヶ峠を越えたのだから、あとは山を下るだけかと思っていたら…そうでもなかった。四国山地、恐るべし。 愛媛県と高知県の県境も10回くらい越えた。 落石注意の看板があ…
檮原町 維新の門、維新の群像。 龍馬さん、頭が…ごめんなさい。1862年3月24日、澤村惣之丞とともに高知を出発した龍馬は、翌25日に梼原に到着(車で尤に2時間はかかる道のりを、山越えとはいえ翌日に到着、すごすぎる)。その夜は梼原の勤王の志士である那須俊…
この屋敷の裏山に… 八畳岩。少し斜めになっているから気をつけて、と係の方が教えてくれたけれど、滑るような岩ではなかった。大きさはさすがに八畳はなかった、と思う。でも、軽く男性か6~7人は車座になれるくらいかな。 高知市街地が見える。お城も。海も…
センターラインもない細く曲がりくねった山道を、何台もの大型ダンプとすれ違いながら登り、閉館間際の16:45、田中良助邸に到着。 すでに雨戸は閉められていて。 しかし係の方が気付いて中に入れてくれた。感謝。 龍馬は、1861年、土佐勤王党の極秘の活動の…
高知城へ。 龍馬の旅にするはずが、また城を訪れてしまった。 追手門から天守。一枚の写真に納められるのは高知城だけ、らしい。 1603年に完成し山内一豊が入城。その後大火によりほぼすべてが焼失した。1749年に再建された。 現在の天守はこ当時のもの。 排…
生家跡近く。龍馬の幼少期を中心に、こじんまりとだが温かく展示紹介する記念館だった。 その生涯で、手紙や和歌を多く残した龍馬の、人たらしたる人柄を育んだのは、家族、だったのだとじんわり感じた。彼の数々の手紙からは、家族の本当の仲の良さと温かみ…
県立坂本龍馬記念館。 マスク姿の龍馬が迎えてくれた。 龍馬は、その生涯で21000kmを移動したらしい。徒歩での旅も多かったろうに。 常に故郷の家族を想い、この国の未来を思い描き、たくさんの人間くさく温かい手紙を残しながら。 20220212
国道33号を南下。 20220211 14:38 仁淀川上流(面河川) 川沿いに平行した道路。途中、巨石がごろごろと転がった場所発見。 大きい。 向こう岸に建つ家と比較してもその大きさがわかる。こんなのが上流から押し流されてくるのか、山から転がってくるのか、と思…
気温は6℃。 いざ山を越えて…と思ったら遠くの山には雪が…。 四国山地は険しいと聞いているけれど、はたして無事に越えられるのか。 ふと不安になった一枚。 20220211午後。
20220211 5時 真っ暗な中、八幡浜に到着。 四国は自分史上、初上陸。 ずっと来てみたかった場所でもある。行き先を決めない、いつ帰るかも決めてない旅なんて、はじめてだ。漠然と徳島鳴門か、桂浜か、金比羅宮か?ぐらいしか考えてなかった。 地図を眺めな…