檮原町 維新の門、維新の群像。
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龍馬さん、頭が…ごめんなさい。

1862年3月24日、澤村惣之丞とともに高知を出発した龍馬は、翌25日に梼原に到着(車で尤に2時間はかかる道のりを、山越えとはいえ翌日に到着、すごすぎる)。その夜は梼原の勤王の志士である那須俊平、信吾父子の家に宿泊し、翌日、父子の道案内で韮ヶ峠を越え土佐を出奔した。
この4人に加えて、家財を費やして志士たちを援助した掛橋和泉、吉村虎太郎、前田繁馬、中平龍之助、みな、回天を決意しての脱藩だったが、大政奉還から明治維新を、無事に迎えた者はなかった。
計八名の、今にも動き出しそうな、声が聞こえそうな熱い銅像だった。
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20220213