土佐

土佐のくじら漁

土佐沖の太平洋。 ざっぱーん! よいしょ、よいしょ はい、一丁上がり!高知城内に展示されちょった。 何艘もの小さな船で大きなくじらに挑む。展示にあるように、そりゃあひっくり返ったり、漁師が海に投げ出されることもあった、だろうな。

峠をめざして

息づかいが聞こえそうな躍動感あふれる維新の群像を見たら、このまま帰路につくのがイヤになってきた。ここまで来たらやはり彼らが越えた峠を越えなくては…。 寒く雨が降ってはいるけど、通行止めの表示はどこにもないし、県道のようだし。と、韮ヶ峠を目指…

檮原町 維新の門、維新の群像。 龍馬さん、頭が…ごめんなさい。1862年3月24日、澤村惣之丞とともに高知を出発した龍馬は、翌25日に梼原に到着(車で尤に2時間はかかる道のりを、山越えとはいえ翌日に到着、すごすぎる)。その夜は梼原の勤王の志士である那須俊…

同じ場所

この屋敷の裏山に… 八畳岩。少し斜めになっているから気をつけて、と係の方が教えてくれたけれど、滑るような岩ではなかった。大きさはさすがに八畳はなかった、と思う。でも、軽く男性か6~7人は車座になれるくらいかな。 高知市街地が見える。お城も。海も…

借金

センターラインもない細く曲がりくねった山道を、何台もの大型ダンプとすれ違いながら登り、閉館間際の16:45、田中良助邸に到着。 すでに雨戸は閉められていて。 しかし係の方が気付いて中に入れてくれた。感謝。 龍馬は、1861年、土佐勤王党の極秘の活動の…

生まれた町

生家跡近く。龍馬の幼少期を中心に、こじんまりとだが温かく展示紹介する記念館だった。 その生涯で、手紙や和歌を多く残した龍馬の、人たらしたる人柄を育んだのは、家族、だったのだとじんわり感じた。彼の数々の手紙からは、家族の本当の仲の良さと温かみ…

和霊神社

和霊神社 1762年,龍馬の高祖父である坂本直益が伊予宇和島から勧請し、才谷屋の守護神とした神社。 才谷屋は龍馬の親戚(本家にあたる)で高知では裕福な商家だった。このあたりも才谷屋の山だったらい。 1862年3月24日,28歳で脱藩を意を固めた龍馬は,坂本…

21,000km

県立坂本龍馬記念館。 マスク姿の龍馬が迎えてくれた。 龍馬は、その生涯で21000kmを移動したらしい。徒歩での旅も多かったろうに。 常に故郷の家族を想い、この国の未来を思い描き、たくさんの人間くさく温かい手紙を残しながら。 20220212

あらまあ、こんなに?

一夜明けて…2月12日(土) さあ、再び龍馬さんと…と思って宿を出たのだが、ふと昨夜のお店の若女将の言葉がよみがえり、ちょっと寄り道。 想像していたのと大分違っていて驚いた。小さくてかわいい橋だった。 百聞は一見に如かず、こんなときにも使っていいの…

ごめん

九州脱出の旅、一日目が終わった。 仕事を終え、自宅を10日の22:00に出発してから、一睡もしないまま四国仁淀川沿いをを縦断し、念願の桂浜の龍馬にも会った。 長い一日だった。 ホテルを確保し、高知市街に向けて車を走らせる。 そこへ目に飛び込んできたの…

再会、なはず。

20220211 17:38 17:59 やっと会えた。 数十年、会えることを夢見ていた。 勝手に、これは再会なのだと思っている。 18:18

ひぐらしや志士おほかたは無名なり 呆斉

1864年8月14日、浜田辰弥(のちの田中光顕)、橋本鉄猪、池大六、伊原応輔、那須守馬の5人の志士が脱藩のために集まった赤土峠。 現在は多くの山もトンネルが通り、車で行き来できる。しかしこの山を、そして大津までの山を、追手を払いながら越えたことを思…