2022-02-19から1日間の記事一覧

檮原町 維新の門、維新の群像。 龍馬さん、頭が…ごめんなさい。1862年3月24日、澤村惣之丞とともに高知を出発した龍馬は、翌25日に梼原に到着(車で尤に2時間はかかる道のりを、山越えとはいえ翌日に到着、すごすぎる)。その夜は梼原の勤王の志士である那須俊…

数字

???またあった。 四国に入ってから、道々ずっと気になっていた道路に書かれた大きな数字。ドライバーからみて横向きに書かれているから、警告ではなさそう。 同じ数字はなくて、数は1ずつ増えていく。 ???1kmごとに増えている? この日は気付いただけ…

ウキツリボク

20220212 和霊神社に向かう途中の民家。かわいく揺れていた。

同じ場所

この屋敷の裏山に… 八畳岩。少し斜めになっているから気をつけて、と係の方が教えてくれたけれど、滑るような岩ではなかった。大きさはさすがに八畳はなかった、と思う。でも、軽く男性か6~7人は車座になれるくらいかな。 高知市街地が見える。お城も。海も…

借金

センターラインもない細く曲がりくねった山道を、何台もの大型ダンプとすれ違いながら登り、閉館間際の16:45、田中良助邸に到着。 すでに雨戸は閉められていて。 しかし係の方が気付いて中に入れてくれた。感謝。 龍馬は、1861年、土佐勤王党の極秘の活動の…

現存12天守の旅になるのか?

高知城へ。 龍馬の旅にするはずが、また城を訪れてしまった。 追手門から天守。一枚の写真に納められるのは高知城だけ、らしい。 1603年に完成し山内一豊が入城。その後大火によりほぼすべてが焼失した。1749年に再建された。 現在の天守はこ当時のもの。 排…

生まれた町

生家跡近く。龍馬の幼少期を中心に、こじんまりとだが温かく展示紹介する記念館だった。 その生涯で、手紙や和歌を多く残した龍馬の、人たらしたる人柄を育んだのは、家族、だったのだとじんわり感じた。彼の数々の手紙からは、家族の本当の仲の良さと温かみ…